人生モラトリアム

死ぬまでの暇つぶし

7月11日

就職して三ヶ月弱経って仕事には慣れてきたが、毎朝早く起きて8時間労働する生活が嫌だし、働きたくないし、会社辞めてインドで乞食になりたいなーと本気で思っている今日この頃。唯一の息抜きといえばピアノだ。今月小6から今まで使っていた電子ピアノを卒業して新たに五万のKORGAmazonレビューが良さそうなやつを買った。会社から帰って毎日「夜に駆ける」を40分くらい練習している。楽しい。

まぁ聞いて貰えば分かる通り下手なんですけどもね。耳コピしたんで許してください。

ここから俺のピアノの歴史をちょっと書いてみる。一応2020年から見て自分が鍵盤を触り始めたのは14年前、小学一年生の時。

父親が趣味でギター弾いててその影響で息子にドラムをやらせたかったらしい。それなら楽譜読めた方がいいんじゃね?ということで俺は家から車で30分のとこにあるヤマハ音楽教室に通わされることになる。それから6年くらいエレクトーンを習うことになる。最初はリトミックだったかな、緑色の打楽器かマラカスみたいなやつやってた記憶が微かにある。それからエレクトーンをやることになるがエレクトーンで楽しかった記憶は全くない。両手に加えて足も動かさないといけないしただただ難しかった記憶しかない。それに同じ時間帯にやってた人たちと合わせて演奏するというのもなかなか難しかった。ミスしたりすると止められてまた初めからもう一回やり直しとか今考えると部活みたいだなと思う。と、こんな感じで嫌々教室行ってただ時間が過ぎ去るのを待つだけだったが小5の時に学校で参加していた市内の文化祭みたいなやつで合唱の伴奏に選ばれた。うちの小学校は生徒数が少ないこともありピアノをやってる人も少なかった。クラスも1クラスしかなくて女子でもピアノ弾ける人がいなくて消去法で当時嫌々エレクトーンやってた俺がやることになった。文化祭が秋にあったから夏くらいに曲が決まって夏休み明けから放課後みんなで練習するといった感じだった。夏休み明けの練習に間に合わせるために俺はプールが終わった後、学校の音楽室で合唱のために派遣されてくるステレオタイプの魔女みたいな先生に毎日調教されていた。今考えると合唱の伴奏なんてコードを両手で弾いてるだけなんだけど当時は今までやってたエレクトーンとピアノの鍵盤の重さのギャップですぐ指が痙攣したりして辛かった。

そんな感じで5年、6年の文化祭や入学式、卒業式などの色々な行事で伴奏を経験させてもらった。公の場で演奏するというのは緊張も大きかったけど本当にいい経験だったなと思う。

ただヤマハ音楽教室に通う曜日が火曜日だったので銀魂とかD.graymanとか好きなアニメが見れなくて辛かった。

それから中学に入ってまた伴奏を頼まれることになる。このときのヤマハの先生が菜々緒とアンミカを足して2で割った感じの先生で怒った時めっちゃ怖かった。中学ではギターとかドラマとかやってる人がいて一緒にセッションしたりもして楽しかった。でもそれよりも衝撃的な第二のターニングポイントともいうべきものに出会う。まらしぃだ。

https://m.youtube.com/watch?v=BFWTF8ImmBE

確かボーカロイドを知ってすぐくらいで裏表ラバーズを聞こうとネットで調べてたら偶然見つけたんだと思う。指の動きや正確なタッチとその音色に圧倒されこんな風に弾いてみたいと、まらしぃの弾いた楽譜をダウンロードしてセブンのコピー機でプリントして弾いてた。千本桜、ナイトオブナイツなど弾いたが中でも一番好きなのは炉心融解だ。まらしぃの曲は一番で普通に弾いて2番でジャズ風にするみたいな風潮があった気がするが炉心融解は最初から最後までジャズ感があって特にイントロの部分が弾いてて特に楽しかった。カゲロウデイズもまらしぃで知って小説も読んでたし、なんならその影響で深夜アニメとか見るようになったまであるな、最近アニメ全然見てないなぁ。

中学まではヤマハ音楽教室にはたまに伴奏頼まれた時だけ行ってたけど中学卒業してから現在まで気になった曲があったら耳コピして自己満足で終わりって感じになってしまった。

まらしぃとかゆゆうたみたいにYouTubeで金稼ぎたいなと夢みたいなこと思ったりしてる話でした。おしまい。